「第一に文学というのは、世の中に対する大衆のイデオロギーを反映して然るべきなのだ。主義主張のない文章など、便所の壁の落書きと何ら変わらない。己が魂をインクに滲ませて原稿用紙を彫る、それすらできぬ輩に作家を名乗る資格などない。私か? 君はちゃんと今週号の私の作品を読んだのか? 他はレベルの低い三流雑誌だが、私の作品を載せているところだけはハイセンスだ。読んでみるといい」
カタカナ語を多数配置しているので、うまく音として活用したい。自分への自信や傲慢さのキャラクター。ツンデレとして演じてもいい。
「な、君は鬼か? いいや地獄の獄卒のほうがまだ優しかろう。どのような暮らしをしていれば『締め切りは明日です』などと閻魔の沙汰よりも酷なことを口にできるのだ。いいや、君だって人の子だ。まだ幾分か心というもの残っていよう。どうかな? あと三日。三日待ってくれはもらえないか。そうしたら箱根のあたりまでは、あいいや、きっといい作品が書けるはずさ」
情に訴えつつ、逃亡を図ろうとする狡っ辛い先生なのでした。
「言葉を散々と尽くしてきたが、よもやこの私が言葉に詰まる日が来るとは思わなんだ。君は私に初めての感動を与えてくれた。誇っていい。君はそれだけ魅力的だということだ。できることならばこれからも私に感動を与え続けてくれると、とても助かるのだが。……ええい、こんなまどろこっしいのは駄目か。君が、好きだ。どうか私の手を取ってはもらえないだろうか」
面映ゆい台本。言葉をつらつらと並べていたが、最後にはすべtを取り払い直接言葉をぶつける、そんなギャップで魅せる構成。手を伸ばして返事を待ってもよし、いやいやもう握ってますやん?! な演出にしてもよし。どちらにしても動きは意識したい。
「浮き世はどうも駄目です。文字通りフラフラと足が地に着いていない感じがするのです。アッチにフラフラ、コッチにフラフラ。そうしているうちにワタシの足はもう駄目になりました。息ができません。どこにいっても駄目です。あと行けそうな場所はヒトツです。行ったことのない場所に行けば何か変わるのでしょうか。期待を込めて。この文を遺します。サヨウナラ」
遺書です。擬音(オノマトペ)と繰り返される「駄目」を上手に使いたい。あと行けそうな場所=あの世です。