語り手・・・わたしも行きたい! の人
聞き手・・・↑がついてこようとしている側の人
(場面設定)
足手まといになりたくない
「いやです! どうしていつもいつも兄様ばかりがこんな目に遭わなきゃいけないんですか。兄様はいつだって私のことを助けてくださるばかりで、こんな偉そうなこと本当は言ってはいけないのかもしれません。ですが、私はもう足手まといは嫌なんです。兄様の助けになりたい。その一心で稽古に励んで参りました。今ばかりは、何とおっしゃろうと引く気はありません」
普段守られるキャラが自分の意思をはっきり示す台本。全体的に口調のていねいさや守られて過ごした点から育ちのよさや温厚さが見えるが、冒頭に「いやです」と強い意志を示す台詞を置いている。最後の台詞との対比でうまく両方とも立てたいところ。また、途中との「嫌なんです」と差別化しやすいようにした。(「助けて」も同様)
「もしわたくしを置いていくというのなら、今ここではっきりと申してください。もうお前のことは愛していないと。そうお言いになったなら、わたくしもきっぱりと諦めましょう。わたくしへの愛を残したままわたくしから離れるだなんてそんなことは許しません。あなたに嫁いだ七年と八ヶ月。この程度の覚悟もなく、何が妻を名乗れますか。そばにいろと、ただおっしゃってくださればいいのです」
少しずつ緊張や怒りやテンションのようなものをクレシェンド的に高めて高めていって最後の「そばにいろと~」で一気に弛緩してギャップで落とす台本。温度の上げ具合やブーストをかける位置、緩急で演じ具合の変わる台本。あとは仮にも愛し人の口から演技とはいえ「もうお前を愛していない」と聞きたくない台詞を口に出す際の心情をどう作るかもポイント。
「ふざけんじゃないよ、あたしはまだあんたを一人前と認めた覚えはないんだ。確かに街を歩けば百人のうち百人とも言うだろうさ。『もう引退したらどうだい』ってね。だから何さ。あたしの散り際はあたしが決める。弟子が不始末を起こしたってんなら、師匠がけじめをつけてやる、当然じゃないか。あたしも行くよ。卒業試験と行こうじゃないか」
弟子>師匠のパワーバランスになった関係。師匠側がみじめさや悔しさからこの台詞を言っている等、師匠側の感情設定もさることながら、弟子側がどう感じて対峙しているかのほうが重要な台本。哀れんでいる? 本当は尊敬している? 申し訳ない? ぐずぐずに泣いている? 弟子の身代わりになってくれようとしている?
「当然じゃないか(何が?)」や「卒業試験」という比喩表現にうまく感情を乗せたいところ。また「あたしも行くよ」の前には動作(振り向きや立ち上がりや道具を手に取る等)チャンスがある。
「何よ、あたしが足手まといだって言うの? そんなの、そんなのわかってるわよ。でも、私だって何かしたいんだからしょうがないじゃない……(ふんっ!)ふふーん、油断したわねえ。女の涙は万能兵器。みんな簡単に騙されちゃって。つれて行くって言うまでこの鍵は返さないんだからね。いつまで足手まといのままと思ってちゃ大間違いよ」
嘘泣きを楽しむ台本。途中の(ふんっ!)は何かこう動作をバッってやった的な演技をどうぞ。嘘泣きからあとの不敵な笑みとのギャップが演じやすさポイント。一応「鍵を人質に交渉する」という聞き手側とのバトル構造になっており、「いつまでも足手まとい~」という最後の台詞が戦闘勝利ボイスのような属性になっている。しっかりと相手側から「つれていくよ」を引き出すことを念頭に置いた演技が必要。
鍵を盗む瞬間→盗んだあと(距離をとる)等、しっかり距離感の変化も意識したい。大泥棒の「キャラとして」演技しても。